【連載】失敗から学ぶ海外人事(第 25 話 タイでクーデター?どうすりゃいいのよ?)
2019.09.24
第 25 話 タイでクーデター?どうすりゃいいのよ?
私は、海外勤務から日本に帰任し、海外人事に配属されました。その頃の私は、慣れない人事の業務で、四苦八苦しておりました。
2006年9月19日早朝、いつものように朝食をとろうと台所のテーブルについたとき、テレビのニュースが目に飛び込んできました。
「タイで軍事クーデター」という文字と、バンコクを走る「戦車」や兵士の姿が画面に映し出されていました。
「はぁ?くーでたー?なんじゃそりゃ?」
私は、口をあんぐりと開けて、呆然とニュースに見入っていました。
「えーっと・・たしか、うちの会社って、タイに事業所あったよな・・駐在員も家族も、沢山いたような気がする・・・」
突発的に、想像だにしないことが起こると、まるで他人事のように思考が停止し、現実感をまるで感じなくなりますね。
しばらく経ってから、
「そういえば、海外人事の前任者から、危機管理も引き継いでたような気がする・・」
やっと正気に戻った私は、これは自分の担当業務だったことを思い出し、ようやく思考が動き出しました。その頃の私は、海外危機管理についての知識は殆どありませんでした。この事件が、私が海外危機管理の専門分野へ飛び込む、大きな契機になったのです。
急いで通勤電車に乗っ た私は、大きな不安で胸がいっぱいでした。
「クーデターってか?とりあえず、何すれば良いんだろう?」
私は、電車の中で、出社してからすべきことを、頭の中で必死に考えていました。
【社内に経験者がいない・・・】
会社につくと、上司が深刻な表情でやってきて、
「やまもっちゃん、タイの件だけど、すぐに対応してくれ。」
「わかりました!」(えーっと・・対応ってなんや?)
と、応えたものの、何から手をつけて良いか、全くわかりませんでした。
「そうだ!とりあえず、現状の把握だ!安否の確認だ!」
会議室を占領し、ホワイトボードを三つほど運び込み、いろんな情報を書き込んでいきました。
そのうち、状況を知る必要のある人達が、ホワイトボードの前に集まって、がやがやと打合せするようになっていきました。
駐在員・帯同家族の氏名、年齢、安否情報、現地法人の所在地、出張者の居場所と安否、現地従業員の人数や動静、いろんな情報が必要でした。
そして、クーデターの状況、他の日系企業の動静、出張の取り扱い、事業所の稼働状況と今後の方針、工場を休業した場合の影響、顧客の動静・・・・
大変だったですね・・・・。どうすればいいか分からないし、経験者もいないから、訊く相手がいませんでした。
こういう状況下で、まず感じることは、「孤独感」ですね。
こういう状況下で、まず感じることは、「孤独感」ですね。
幸いにも、クーデターは所謂「無血クーデター」で、現地の駐在員からの情報やメディアの報道などで、現地では、比較的平穏な状況が維持されていることが分かりました。
大きな混乱もなく、最後にはタイの国王が出てこられ、事態は終息していきました。
まったく経験の無かった私は、海外有事においては社内の全部門に影響があるという、当たり前のことを経験的に知ることができました。
また、海外危機管理の担当部門が、どれだけ多くのことに対応しなければならないのかも経験し、日常の準備や管理業務が、会社の事業継続にとって非常に重要であることを知ったのです 。
ただ、大過なかったのは、私が単に「ラッキー」だっただけなのです。
【独りぼっちは、私だけではありませんでした】
その当時、会社には海外危機管理の基準のようなものはありましたが、整備されていませんでした。しかし、この時の経験で、海外進出企業は体系的な危機管理標準を持たないと、致命傷を負いかねないということを、痛切に感じたのです。
タイのクーデターが落ち着いた頃、海外危機管理の見直しを指示された私は、幾つかの大手企業や海外進出企業支援団体などにアプローチし、他の企業が、どのように海外危機管理を行っているのかを調べて回りました。
結果として分かったのは、海外危機管理に熱心な企業は、非常に少ないということでした。
一方で、非常に少数ですが、経営陣の強い要請を背景にして、しっかりした海外危機管理部門を作り上げることに成功した企業があります。しかし、それらの危機管理責任者の皆さんですら、例外なく、海外危機管理部門の立上初期には、私と同様に「孤独」との闘いを経験しておられたのです。
なぜなら、平時においては、日本本社には「海外危機管理」に関心のある人は、殆どいないってことなのです。企業の経営陣の最も高い関心事は、利益を確保することです。起こるか起こらないか分からない「海外有事」にはあまり関心が無い場合が多いのです。
海外危機管理構築に成功した企業は、例外なく、過去に経営陣が「海外有事」に直面し、酷い目に遭った経緯があります。一度酷い目に遭うと、企業の経営陣は、海外危機管理に係る投資は「経営上の必要経費」という認識を持つようになり、仕組み構築が一気に加速するのです。
【プロフェショナルがいた!】
私は、タイのクーデターで冷や汗を掻いていた頃、日本には海外危機管理のコンサルティング会社が、いくつか存在するということを知りました。そういった専門機関には、数々の修羅場を経験したプロフェッショナルがいて、多くの大手企業に助言しているそうです。
「助言しているそうです」というのは、扱う情報の機密性が高い為、どの会社と契約しているかということは、口外されることがないからです。
海外危機管理コンサルティング会社は、企業の経営者や危機管理責任者にとって、会社 の内情を開示し相談が出来る、心の支えになっているようですね 。
【ピーターパンの島、ネバーランド】
私は、この地球上には、ピーターパンのネバーランド・・・つまりお伽の国があると思っています。お伽の国は、優しく安全な場所です。本当の悪人なんて、殆どいないのです。安全は、無償で提供され、冒険を楽しむことができるのです。
その国は、どこにあるかご存知でしょうか?
それは、我が国「日本」です。
私たちは、簡単にそのことを感じること が出来ます。車で走っていると、人気のない場所に、沢山の「自動販売機」が設置されていることに気が付きます。
あんなに高価で、ハイテクで、現金が沢山入っていて、一個 100 円以上する安全で美味しい飲み物満載の機械が、道端に放置されているのに盗まれたり破壊されたりすることはめったにありません。
さらに、電車に乗ると、気持ちよさそうに居眠りしている大勢の人たちを、見ることができます。完全に「油断」していても、ほぼ大丈夫なのです。
朝起きたら、近所を戦車が走り回っているという光景も、日本では想像できませんよね。
そんな安全な国は、日本ぐらいなものです。
勿論、日本にもプロの犯罪者はいますし、犯罪も毎日のように報道されています。また、テロや紛争の可能性も、「ゼロ」ではありません。しかし、諸外国の実情と比較してみると、私たちは、極端に安全な環境で生活出来ているのです。
お伽の国出身の企業が、何も知らず、何も準備せずに海外に出て行くのは、サファリパークのライオンのエリアに、裸でネギ背負って入って行くようなものです。
あなたの会社は、進出国で騒乱や紛争、クーデターが発生した時に、すぐに対応できるでしょうか?
今この瞬間に、海外駐在員や帯同家族が、強盗被害に遭ったり、誘拐されたり、テロや紛争などで重症を負ったりしたら、あなた自身は、「具体的にどういう行動をすべきか」、分かっているでしょうか?
リスクの種類は違いますが、大地震や大洪水が起こったら、どうでしょうか?強力な感染症が流行したら、何をすれば良いでしょうか?
もし、あなたが、何も知らなかった頃の私のように「ニュースを観て唖然とする」しかないとしたら、早めに「備え」を検討することを、会社規模に関係なく、強くお勧めする次第です。
次回は、私が経験した「豚インフルエンザ対応」を例に、海外危機管理を考えてみたいと思います。