【連載】失敗から学ぶ海外人事(第 5 話 異文化の向こう側 )
2019.04.08
第 5 話 異文化の向こう側
異文化理解といっても、なかなかピンときませんね。セミナー等で先生が文化の定義から話し出すと、とたんに眠くなります。私は海外駐在中には、この異文化とやらにイライラしっぱなしでした。
海外事業の最前線にいると、異文化理解などという悠長なこと言ってられない現実がありました。でも、仕事が上手く行かなくなって、やっと異文化理解が大事だなと思うようになるのです。それなら行く前からちゃんと勉強していけばいいのです。
って、今になって思う次第です。
まさに今、 若い頃の私と同様に、異文化イライラ症候群に罹っている駐在員の皆様に贈る応援歌を、今日のテーマと致します。
全世界の駐在員の皆様、キレずに、がんばってこー!
ひつこく、メキシコ工場時代のエピソードを一つ。私が人生で最初に遭遇した異文化は、メキシコ人スタッフの「言い訳」の素晴らしいテクニックでした。「あんた、そこまでいうかぁ・・・おっ、次はそうくるかぁ・・・」と、最初はかなりイライラしました。
でも、だんだんと慣れてきて、「今度は、どういう言い訳がきけるかな」と、エンジョイするぐらいの感覚になっていました。
遅刻だ!連絡しなくても、あたしはだいじょーぶ!
ある日、私の部下の現地マネージャーの女性(以下、 L)が、3時間遅刻してきました。私の顔をみても何も説明に来ず、いつものようにニコニコ笑いながら、普通に仕事に取り掛かろうとしたのです。
「またかよぉ・・・」と、かなりイラッ! としながら、彼女を呼びつけて、私「あんた、遅かったね。なんで遅刻したんや?」
L「まぁ聞いてください!朝起きたら、冷蔵庫の故障で、中の物が溶けちゃってて、床が水浸しになっていたのぉ」
私「ふーん・・それで?」
L「その応急処置をしていたので、遅れたのぉ」
私「遅れるなら、電話ぐらいしてきたらどうなんや?」
L「私の家には電話がないのよぉ」
私「じゃ、公衆電話から出来るやろうが!」
L「公衆電話は、 1 キロぐらい離れたとこにしかないのぉ」
私「車があるやろうが!」
L「私も、そう思って車にのって公衆電話まで行こうとしたら、なんと!車がパンクしていたの!だから、連絡できなかったのよぉ」
私「じゃ、 今日はどうやって出勤できたんぢゃ!」
L「お隣さんが、タイヤ交換を手伝ってくれたのぉ。今日はラッキーだったわ!」
私「つまり、あんたが連絡もなしに三時間も遅刻したのは、あんたにはまったく責任がないって言いたいのかぇ?」
L「そうなのぉー、とにかく冷蔵庫が壊れちゃってぇー。今日は、午前中を有休にしてもらってもいいですかぁ?」
・・・最初の頃は、殺意すら覚えましたね。
とにかく、何かにつけて謝らないのです。しかし、後になって、彼らがなぜこういう態度をとるのかが、なんとなく分かってきたのです。
それを教えてくれたのは、現地採用の若い日本人通訳でした。
ごめんなさいは、死につながる
通訳の彼が教えてくれたのは、「メキシコでは、上手に言い訳できないような人は、一人前の大人とみなされません」ということでした。彼の説には異論があるかと思いますが、説得力はありました。
彼曰く、
「メキシコという国は、その昔、スペインに厳しい統治を受けた時代がありました。その頃のメキシコの人達は、「非を認める」=「厳罰」という図式があって、必死で言い訳する以外に、自分自身や家族、親戚、コミュニティーを守る術がなかったのだそうです。
とにかく、命がかかっているのですから、その場限りの嘘でも何でも助かればいいのです。その為、言い訳の技術は高度に発達したのではないかと、僕は思います。
みんなの前だと面子もありますから言い訳しますが、周りの目がないところで話すと意外と素直ですよ。」
なるほど、そうだったのかと納得して以来、注意を与えるときには、周りに気を配るようにしたのです。そうすれば、意外と真摯に話を聴いてくれる人達でした。(とことん挑戦的な人も、いましたけどね。)
【自分の身は、自分で守らなければならない人々】
メキシコの人達以外にも、容易には自分の非を認めたがらない国々はありますよね。過去に他国の厳しい統治を受けた、アジアや中南米の人々も同様です。
中国は、文化大革命の頃には粛清の嵐が吹き荒れ、人々は非を認めたら大変な目に遭っていたと言われています。(少し理由は違いますが、欧米先進国にも、自分の非を容易に認めたがらない人が多いようですね。)
よくよく観察してみると、それらの国々には一つの共通点があるように思います。それらの国々 では、社会保障が整備されていなかったり、激しい競争があったり、政府が必ずしも国民を守る立場をとらないといったことです。
とにかく、生きる為には、自分の身は自分で守らなければならないという、日本の何十倍もシビアな環境があるのです。
そんな社会で暮らしている人々にとって、何が一番大事なのでしょうか?
それはきっと、自分自身の安全確保です。まず自分自身、自分の家族・親戚・親友、自分が属するコミュニティーという具合に、相互協力の人の繋がりを形成して生きているのです。
特に、貧しく生活環境の厳しい国では、この人的繋がりのルールが、 国家の法律より優先される場合があります。そこに社会が腐敗する、原因があるのかもしれません。
極論ですが、自分達の繋がりの外にいる人は、死のうがどうなろうが全く気にならない「よそ者」ということになるのです。一方で、相手を自分達のコミュニティーの内部にいる人だと認めたら、とても親切で誠実な対応をする場合が多いのです。
【異文化の向こう側にある共通点】
コミュニティーは、地縁・血縁や同じ行動様式を持っている人々の間で形成されています。行動様式とは、宗教かもしれないし、イデオロギーかもしれません。何れにせよ、同じ価値観を共有できる人々が集まって、助け合っているのです。
それでは、海外駐在員が現地でマネージメントする時に、何を分かっていなければならないのでしょうか?それは、地球上の全ての人が、共通の感情を持っているという確かな事実です。
どんなに文化的背景が違っていても、喜怒哀楽という感情は同じです。どの国の人も、喜び、怒り、哀しみ、楽しみという感情をもっています。
「どういう物事に、喜怒哀楽が反応するか」が、地域によって違っているだけなのです。現地の人達が、何を喜び、何に怒りを感じ、何を哀しみ、どんなことを楽しいと思うのか・・・。
それを分かっていることが、駐在員として必要な異文化理解なのかもしれません。そして、日本人駐在員として、現地の職場や社会で「適切な振る舞い」とはどういうものなのかを、よく知った上でマネージメントすることが、事業所運営の安定に繋がるのです。
あなたの会社の海外事業所の駐在員達は、現地の人達のコミュニティーに安心感をあたえているのでしょうか、それとも不安を感じさせる「よそ者」なのでしょうか?とても気になるところです。
なぜなら、現地の人達との信頼関係の崩壊は、海外事業所の崩壊に繋がるからです。
次回は、「現地スタッフ」との付き合い方について、考えてみたいと思います。